お前のモモは俺のモモ

好きな食べ物はみかんです。気分だけでもミニマリスト。

ミニマリスト宣言

ミニマリストに憧れている。

 

 ネット界隈ではあたりまえの話題のように感じるが、現実の世界での認知度はまだ低いかもしれない。はっきりと決まった定義はないが、ミニマリスト=最小限主義者ってことでいいと思う。所有物のほとんどを断舎離して、食事はすべて外食のため冷蔵庫すら持たず、洗濯はコインランドリーで洗濯機いらず、布団をもたずに寝袋ですごす。持っているものはiPhonemac book proと数着の衣類だけでトランク1つで生活できる極限がりそうとされているようで、一歩間違えればプロキャンパー(浮浪者)と変わらないのかもしれない。

 

 ここ一年くらい、ミニマリスト的な考え方に共感を覚えて、ブログや書籍に目を通してきた。実践者は、もともとモノに溢れた生活からの脱却したくて始めた人が多いようだ。いつ履くともわからない靴たち、いつ買ったかわからないかばん、最後に着たのは何年前になるかという服の山を前にして考えてみると、普段愛用するのはこの靴とこのかばん、そして数枚の服だということに気づき、こんな生活から抜け出せないかと、断捨離を始めていくようだ。必要と不要、使うか使わないか、ときめくかときめかないかと基準は様々だが徐々にモノを売ったり、あげたり、捨てたりしているうちに心が晴れやかになっていく。

 

 もちろん、私も物質主義に囚われていて、モノがあふれている生活をしているのだ。物を沢山持っていることが美しいとすら思っていた。戦後の焼け野原的発想だったようだ。大したブランド物はもっていなかったけど、靴、ジャージ、スウェット、フリース、Tシャツ、ジーンズなどのワタシにしかわからない希少価値あるモノたちに囲まれている。

 

ある日、モノがたくさんあることは必ずしも幸せにはつながらないことに気づき、断捨離を試みてみる。すると、心がすっと晴れやかになって気分が良かった。昔から溜め込んでいたもので必要な物など殆ど無く、足かせにすぎないじゃないかと。

 

 なぜモノに執着していた私がダウンサイジングに務めるようになったかといえば、物欲にまみれている妻の存在が大きい。あれが欲しい、これが欲しいとと次々に購入したがる姿を見てなんだかみっともなさを感じてしまった。妻に残念な印象を抱きながらふと気づく、その姿はかつての自分だったのだ。彼女を見ることにより、自分を客観視することができた。自分もみっともなかったのだなあと。

 

 原因はどうあれ、モノを減らしてシンプルに生活するという考え方は色々と長年の習慣を変えてしまう可能性がある。自分の行動指針となるものだから、ある意味宗教みたいなものじゃないか。何でもかんでもアウトソースして金で解決する系のミニマリストになるのほど経済的な余裕はないので、どちらかといえば金がかからない系のミニマリストを目指す。それってただのケチかもしれないけど。

 

物欲妻と、幼児がいる環境でどこまで出来るかやってみよう。